両側の卵巣腫瘍、2度の卵巣摘出手術を乗り越え、39歳で第2子を自然妊娠!妊娠は不可能と言われた私が、不妊治療をせずに「足指を広げただけ」で奇跡の子を出産した体験記。

今年4月から、不妊治療への保険適用が始まりました。私は小学生の頃から婦人科系の疾患に悩み続け、16歳で左の卵巣を摘出。24歳で結婚したものの、なかなか子供を授かることができなかったのですが、O脚の改善とともに全身の不調から解放され、3年後の27歳で妊娠。「子どもができにくい」と自覚していた私は、O脚の改善によって妊娠できるかもしれないという確信を持ち、日々、足の小指を伸ばし続けながら、ウォーキングを継続し、妊娠が判明しました。つわりや陣痛もほとんどなく、分娩台に連れて行かれて「ポンッ」と出産。

去年の秋に第2子を出産しましたが、30代の頃に右の卵巣も摘出していて、自然妊娠は不可能といわれたのですが、奇跡ともいえる妊娠に、感じた思いや妊娠時の心境を語りたいと思います。一人でも多くの方にとって、希望の光になれば幸いです。

STEP
小学生時代

・ものごころがついた時からひどいO脚だった
・脱腸ヘルニアで小3の頃に手術
・腰痛があり授業中椅子に座っていることが辛かった
・小4の頃にドシャっと茶色の血を出血
・長時間歩くと膝がダル痛かった
・小6に生理が始まり、生理痛がひどくてバファリンを飲んでいた

・O脚矯正のため、浴衣の着付けの紐で足首と膝を縛って寝るが効果なし

STEP
中学生時代

・腰痛と頭痛と生理痛と膝痛が普通という生活をしていた
・足の内側に筋肉をつけるトレーニングを3ヶ月ほどしていたが効果なし
・O脚矯正スリッパを履いたりしたが効果なし
寝転んでトレーニングをしたり、立ち方を変えたりしたが効果なし
・近所のカイロ
18万円を出して8回ほど通った。すぐに戻って効果がなし
・杖をついてO脚で歩いているおばあちゃんを見て、自分もいつかそうなると思った

脛の骨は曲がっていると思い込んでいた

STEP
高校生時代

・痩せ型だったが下腹が出ていた
・高校2年生の頃に胃の圧迫感が出てくるようになり、常に胃の不快感があった
・高校3年生になって突然お腹が膨らむ。腫瘍が見つかり、左の卵巣ごと摘出
・気づいた時には小指の爪がなかった
・小指の裏の皮膚が硬くなり、いつも三角形のような形をしていた
・膝下はいつも浮腫んで痛くなっていた
・ひざの下の外側の筋肉がいつも張っていて、スカートを履くのは嫌いだった

STEP
20代

・偏頭痛、膝痛、冷え性が酷かった。足が冷えすぎて夜中に目が覚めていた
・湯浅慶朗に出会い、浮き指を治したらO脚が1週間で改善した
・膝や股関節の痛みが改善した
・頭痛も良くなり、バファリンも飲まなくなった
・冷え性も良くなり、足がキンキンに冷えて目が覚めることがなくなった

小指の爪が生え始め、小指の爪って生え変わるんだと思った
お尻も上がって嬉しかった
・平熱が3年かけて35.6度から36.5度まで上昇
・3年後に妊娠

STEP
30代

・育児に追われてYOSHIRO SOCKSやひろのば体操をサボっていた
・徐々に生理痛がひどくなっていたが放置していた
・気絶しそうになるほどの痛みが何回か続いた
・婦人科を受診したら右の卵巣が破裂していた
・右の卵巣の摘出手術
・医師から「自分の卵子で妊娠することは出来ない」と断言された

STEP
30代後半

・36歳で子育てが落ち着き仕事に復帰
・Yoshiro SocksとYoshiro Shoesを履いて毎日散歩するようになった
・39歳の時に体調不良で婦人科を受診したら「妊娠です」と言われる

目次

16歳で卵巣がんの疑い

私は、小学生の頃から婦人科系の不調を感じていました。生理痛が重く、バファリンを飲んでも効かない状態だったのです。16歳のときにはじめて家の近くの婦人科に行き、そこで卵巣腫瘍があることが分かりました。

治療をしながら年齢を重ねてきましたが、卵巣腫瘍が悪化し、卵巣が肥大化してしまいました。腫瘍マーカーの数値が上がって、「卵巣がんの疑いがある」と言われました。「もし、がんだったら……?」と、目の前が真っ暗になりました。

徐々にお腹が膨らんできて、卵巣腫瘍による「腹水」だということが分かり、いつ破裂してもおかしくないので緊急入院で手術をすることに。

左卵巣の摘出手術を前に、主治医の先生に「子どもを産みたいよね。片方が正常だから心配ないよ。」と言われ、ホッとしました。それまで、「子どもが絶対にほしい!」と強く思ったことはありませんでした。

でも、いざ卵巣を摘出するとなったときに、はじめてこの先の人生をどう生きるのか、真剣に考えました。思ったのは、「どうして卵巣腫瘍になったのか」ということ。主治医の先生に「もう片方が卵巣腫瘍になる可能性があるのであれば、その原因と対処法を知りたいです」と聞いたのですが、「わからない」とキッパリ答えられました。

当時はまだ結婚の予定はありませんでしたが、自分なりに体のことを分析し、左のO脚の方が酷いことと、左の卵巣腫瘍には何か関係があるのでは?と考えていましたが、病院の先生からは「関係ない」と言われました。はっきりとした因果関係や卵巣腫瘍の原因がわからないまま、将来への不安が募るばかりの日々を送ることになります。

ひどいO脚が1週間で改善し、3年後に自然妊娠へ

私は24歳で6歳上の夫と結婚しました。子どもができにくい体であることは会ったときから夫に話していたので、夫は「無理して産まなくてもいいよ」と、私の意思を尊重してくれることにしました。

夫が、ひょんなことから、私の足の小指が地面から離れていることに気がつき、「なんで小指が浮いているの?」と聞かれたのですが、「物心ついた時には小指は地面についていなかった」と言いました。夫は、全ての足指が地面に付いていることが普通と考えていたので、小指が浮いていたのは衝撃的だったようです。

そこで夫は、浮いた小指をなんとかして地面につけるように、ストレッチやマッサージを続けてくれたのですが、一瞬、小指が地面に着いたのです。そして私は「脚の内側に力が入る!」と感じて、夫に「小指が地面に着くと、足の内側に力が入る」ことを話したのですが、夫はこの言葉の意味が当時はよく分からなかったそうです。

そんなことを1週間ほど続けたある日、私がお風呂に入っていると、ある異変に気がついたのです。「両足のくるぶしがくっついている!」「いつの間にか膝が閉じている!」。私は驚きのあまり「ギャ〜ッ」と叫んでしまいました。夫は「またゴキブリでも出たのかな」と思ったらしいのですが、私がお風呂場で「膝が…膝がくっついてる」と興奮して立っていると、夫もO脚が改善しすぎていることに驚いていました。

小学生の頃からひどいO脚で、長いスカートで脚を隠すくらいコンプレックスを抱いていた私。ところが1週間前と比べると、明らかにO脚が改善していたのです。

膝も痛くないし、頭痛もいつの間にか良くなり、バファリンも飲まなくて良くなり、冷え性も良くなり、足がキンキンに冷えて目が覚めるということは無くなっていました。気が付けば、膝だけでなく股関節の痛みも消え、徐々にむくみ、生理痛、腰痛、肩こりなど、長い間抱えていたカラダの悩みも全て解消していったのです。

小指の爪が生え始め、「小指の爪って生えてくるんだ」と思ったのもこの頃です。お尻も上がって、見た目にも変化が現れて嬉しかったのを覚えています。10代の頃は体温が35.6度くらいでしたが、O脚が良くなって徐々に体温が上がり始め、3年ほどして36.5度が平熱になりました。

そんなとき、自分でも本当に驚いたのですが、O脚が良くなって平熱が36.5~36.7度になった頃に、妊娠していることが分かりました。火照りや吐き気があったので、最初は早期閉経で更年期障害が早く来たんだと思いました。念のために妊娠検査薬で調べてみたら結果は陽性。夫と喜び合いました。卵巣摘出で卵子の数は減っていましたが、もともとバランスの良い食事をきちんと取る習慣があったことが、卵子の質を保つことにもつながったのだろうと先生に言われました。

生まれるまでは不安もありましたが、無事に女の子を出産することができました。

もし夫が将来を考えて子どもを望むのなら、お互い違う人生を歩んだ方がいいかもしれないと思った時期もありました。一人でたくさん悩んだあと、夫と真剣に話を重ね、私と夫は結婚をすることに決めましたので、子供を授かった時には、受け入れてくれた夫や、夫のご家族には感謝の気持ちでいっぱいです。何よりも小指の「浮き指」を治したら子供ができやすい身体になるというのが驚きでした。

健康そのものだったのに、再び卵巣腫瘍と診断された。

健康診断ではいつもA判定。周囲の誰よりも栄養バランスに気を使った食事をしている。脚の悩みをいつしか忘れ、子育てにも追われていたこともあり、Yoshiro SocksやYoshiro Shoesを履いて過ごすことから遠ざかっていました。

そんな私が、卵巣が破裂していると診断されたのは2016年2月(当時32歳)のことでした。

徐々に生理痛がひどくなり、気絶しそうになるほどの痛みが何回か続いて、たまたま受診した小さなクリニックで「大きな病院に一度かかってみた方がいいですよ」と言われたのがきっかけです。少し不安な気持ちを抱えて、年明けに済生会病院で検査を受けると、先生に告げられました。「右の卵巣に腫瘍があり、さらに卵巣は破裂しています」と。

自覚症状はありましたが、正直、実感はありませんでした。頭の中でいろいろな感情が交錯しました。そのとき涙は一つも出なかったのに、「もう一人子どもが生まれたらいいね」と話していた夫の顔を思い浮かべたときに初めて涙がこぼれました。

このとき、破裂していると言われたのが右側の卵巣でした。卵巣が捻転し破裂していることもあり、そうなると腫瘍が他の臓器に転移しステージも上がってしまうかもしれないので、できるだけ早く取ってしまった方がいいというのが先生の判断でした。

セカンドオピニオンは受けませんでした。時間がなかったこともありますが、何より痛みに耐えることができなかったからです。卵巣を摘出し、病理検査にかけて悪性度を調べた上で治療を行えば、寛解する病気ですよ——。先生のお話を信じてがんばるしかない。それが私と夫の結論でした。

再就職をきっかけに、毎日Yoshiro Socksを履くことを日課に

2回の卵巣摘出手術、2回の流産、膝の痛み・頭痛・冷え性の再発などもあり、再就職をきっかけに、自分の体の健康について見直すことにしたのは36歳の頃です。

デスクワーク、履き物が自由、職場が家から近いということもあり、再びYoshiro SocksとYoshiro Shoesを毎日履くようになりました。毎日のウォーキングも日課にして、生活習慣を改め、再度体質改善を図ることに。

生活習慣を見直すというと、食べ物を気にしたり、運動をしたりして、身体の健康を見直す人が多いと思います。また、健康は身体の健康だけでなく、心の健康も重要なのですが、夫が常に言葉にしていることが「姿勢が変われば心が変わる。」ということや、「奇跡というものは起こるものではなく、起こすものなんだ。」です。

「今」の繰り返しが「未来」を作っていくことを知れば、今わたしが何をしようとしているのかが重要になっています。よくよく考えてみれば当たり前のことで、今を一生懸命生きていれば、それに見合った未来の自分になります。

両方の卵巣摘出をして、過去を悔やむ気持ちもありますが、「今」を一生懸命に生きることが何よりも大切である。よい事も悪い事もまるごと吸収し、自分の力へと変える努力をしている人が、素晴らしい自分を作り出すことができると考えるようになりました。

強く願い、願いを叶えるために努力をする、その努力が必ず奇跡を起こす」。夫が、寝たきりだった脊髄損傷の方や車椅子生活を余儀なくされたを方を、歩けるまでに回復させたことを間近でみてきた私。奇跡は待つのではなく、信じる心と善き想いで奇跡を起こそうという気持ちが大切だと感じました。

2年目に本当に奇跡が起きた

「奇跡は今すぐに起きて欲しい」と思うのは、私だけではないですよね。神様はちょっとした試練を与えているのだと思います。そう思って、雨の日も、風の日も、雪の日も、暑い日も、寒い日も、1日も欠かすことなく、夫に連れられて1時間のウォーキングを続けていました。

足指を広げ続けるようになり、サボっていて悪くなっていたO脚も、いつの間にか良くなっていて、膝の痛み・頭痛・冷え性もなくなり、基礎体温も37度まで上昇していました。ただちょっと更年期障害かな?と思うことがあり、産婦人科を受診したんです。38歳の冬のことでした。

「おめでとうございます、妊娠ですね!」

医師から告げられた時は、ちょっと意味がわかりませんでした。「先生、私は卵巣が両方ないんですが、本当に妊娠なんですか?」と聞き返したのですが、「超音波検査で赤ちゃんが見えるから間違いないです」と断言。みるみるうちにお腹が大きくなり、赤ちゃんの形もはっきり見えるようになりました。

「奇跡って起こすものなんだ…」

「努力もしないでカンタンに諦めるな」と患者さんに言っている夫を見ていて、人ごとのように感じていた私なのですが、その言葉の意味がよくわかりました。またもや足指が奇跡を起こした…。

諦めないこと。地面に対して真っ直ぐに立つことが奇跡を起こす。

自分は健康だと過信することは禁物です。若くても検診を定期的に受け、少しでも気になる点があれば病院にかかり、忙しい毎日のどこかで一度立ち止まって欲しいと思います。リスクに対し何か備えておく必要があると感じるなら、YOSHIRO SOCKSYOSHIRO SHOESなどを考えてみればいいのかなと思います。夫に確信があったのかはわかりませんが、いつも口癖のように「どんな状態からでも人間は回復する能力を持っている」、「血液の質」「血液の量」「血液の流れ」を変えることが、本来の持つべく人間の自然治癒能力を最大限に発揮させてくれるのだと話しています。その第一歩が、諦めずに色々なことに挑戦する行動力。足指を広げ、真っ直ぐ立って、真っ直ぐ歩くこと、それが私に奇跡を起こしてくれました

過去を振り返って、「がんになって良かった」「いい経験だった」とはどうしても言えませんが、そういった経験を夫婦で乗り越えていくことで、健康に対する意識や、体の神秘さを体感することができたのも事実。そうはいいうものの、できれば病気になんかならない方がいい。でも、支えてくれる夫がいて、お金の心配はしなくていいと助けてくれる両親がいて、自分より心配してくれた友達がいて、私は周囲に感謝する大きなきっかけを得ることができました。その気づきは、SNSで「ひろのば体操」や「YOSHIRO SOCKS」などの情報を発信することもそうですが、同じ病気で悩んでいる人たちを勇気づけることに繋げていければと思います。

あとがき

出産までの裏話
YOSHIRO

不妊症で悩んでいる方がいれば、やみくもに頑張るよりも、基本的なことを見直してみてください。まずは足指から。

CHIKA

O脚だと股関節周囲が痛くなることがありました。卵巣は股関節に近いので、股関節が捻じれていたりすると血流が悪くなって、卵巣に影響があるんだろうなって言うのは感覚的に感じていました。けれど、O脚を良くする方法がなくて途方にくれていました。良かったら下記のリンクを参考にしてみてください。

YOSHIRO

どうやってO脚を改善させたの?という問い合わせが多いのですが、足の小指をいじっていた以外は、実は僕の靴を仕事中に履かせてたよね。

CHIKA

私はコンバースを履いていたのですが、それが良くないって指摘されて、言われるがまま27センチの靴を履かされて、不動産の仕事をしてました。

YOSHIRO

立ち仕事だったのも良かったよね。不動産の営業で1日中歩いてたから、効果が出るのが早かったのだと思う。

CHIKA

家に帰ってからも4キロのランニングとか、鬼かと思った。

YOSHIRO

あの頃は若気の至りもあるね。靴選びは歩く上でとても大切なことなので、下記リンクを参考にしてみてください。

CHIKA

O脚だけが良くなって幸せだったけど、時間の経過とともに、身体のいろいろな不調が改善して、第一子・第二子ができたのは、体温がちょうど36.7度になった頃だったよね。

YOSHIRO

私の体温が37.0~37.2度くらい。体温が全てではないですが、妻の体温が35度台だったので、それはできるものもできんわってなって。でもO脚が良くなって、姿勢も猫背だったのに、真っ直ぐになったよね。

CHIKA

そうそう。姿勢が良いと血液の流れがすごく良くなる感じは実感した。冬に上着が減ったのにはびっくり。霜焼けもできなくなりました。姿勢って子宮や卵巣にとって大切なので、下記リンクも参考にしてください。

YOSHIRO

当時は普通の五本指靴下を履いていたけど、研究グセで、五本指靴下を追求していくと「糸の力」で矯正できるんじゃないかって思って。靴下工場に修行しにも行ったよね。

CHIKA

工場に泊まり込みでね。その場で試作品を山ほど作って、鬼のように硬いやつとか、細いやつとか、色々と私も履かされた。

YOSHIRO

妻がいると試作した靴下の効果がわかりやすくて、矯正力がないとO脚に戻ったりね。本当に助かりました。妻のように婦人科系のことで悩んでいる方はYOSHIRO SOCKSを試してみてください。

CHIKA

インソールも効果抜群だった。冬でも暖かさを感じたし、何より靴を履いて気持ちがいいって感覚は初めてだったから。

YOSHIRO

そうだったね。結局、インソールも試行錯誤しながら、O脚が良くなる形が規格化できたしね。少しでも形が違うとO脚に戻るっていう身体だったから、それじゃなかったらできてなかったよ。

CHIKA

靴・靴下・インソール、この3拍子が揃うと最強だと思う。油断してサンダル履くと体調悪くなる。

YOSHIRO

そうだよね。ほとんどの人は体調が悪いことが普通になってたり、歳のせい、筋力のせい、遺伝のせいにしてたりするからね。2023年9月にはYOSHIRO SHOESも発売されるので、併せて試してもらうと嬉しいです。

CHIKA

YOSHIRO SHOESは試作品を1年ほど履いていましたが、矯正靴メーカーのニューバランスよりも良かったです。M1400は4万円するし、人気で手に入らない。YOSHIRO MODELは規格化されたインソールも入っているから、2万円台で購入できるのはありがたいです。この靴とYOSHIRO SOCKSを履いてたから妊娠したと言っても過言ではない?

YOSHIRO

奇跡を起こせる靴を作りたいって10年以上前から構想してたから、私としては「必ず妊娠させる!」っていう気持ちで作った力作です。自分の家族を幸せにできると、まわりを幸せにできると思ってる。

CHIKA

「矯正靴」だけど、とてもオシャレ。不妊症治療と併用しても良いと思うので、一人でも多くの方にとって、希望の光になれば幸いです。

湯浅慶朗(YUASA YOSHIRO)
足指研究所 所長
理学療法士、足指博士、足指研究所 所長。ハルメク靴の共同開発者。東京大学で研究を行う。

病院で理学療法士として高齢者医療(リハビリ)に携わる。現代医療のあり方に疑問をもち、病院を退職。妻のO脚改善をきっかけに足指の研究に入る。一生歩き続けられる体をつくる「ひろのば体操」を考案。西日本新聞連載「お茶の間学・足指伸びてますか~」(全22回)が人気となり、NHK「サキどり」「ガッテン」などで足育として取り上げられ、大きな反響を呼び、足指研究所で足腰の相談に乗るほか、病院の再建をはじめ、一般や学生、児童向けの講演活動を行っており、日本国内だけでなく、ニューヨークやバンコクなど、世界各地を飛び回っている。

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